『昭和プロレス』

イサヲ@キキヤクマーケティングぷれぜんつ。
約日刊コラム『ネガディープ(仮)』

注意
非常に小心者な初心者の独り言なので、大きな気持ちで読んでいただける方だけ、いらしゃいませ。

3日目のこのコラム。
読んでいただいた方がいたようで、まずは心優しいあなたへ感謝。

『昭和プロレス』

このお題にいったい何人の人が食いつくのか?
不安より3人ほどはいるであろう、限られた友人の中の、限られたプロレスファンの方へ書くとしよう。

私のプロレスの記憶は、新日本プロレスから始まっている。
アントニオ猪木とストロング小林の名勝負は結果は忘れているが、なぜか名勝負だったと言いたくなる。

プロレスの事を一種のショウだという人は多い。
実際、そういうことも含まれてるような気がしなくもない。

ではなぜ、少年のころ、そして今も熱く語るのだろう?
パフォーマンスみたいなモノにあんなに心を熱くさすことが、本当にできるのだろうか?

プロレスほど、相手に対して敬意を払ってる格闘技はないと思う。
格闘技と言い切ったが、それは私が全力で22文ロケット砲をぶちかましても、蚊がとまったほどにしか感じないであろう肉体に敬意を払っているからだ。

相手の技は必ず受け止める。
ジャイアント馬場の足を上げてるだけの(かもしれない)16文キックにも吸い込まれるように飛び込んでいく。
スピンングトーホールドだって、私でも簡単にはずれそうに見える。

どんな時でも受け止める。
これを愛と呼ばずになんと表現したらよいのか!!!

あっ!また興奮してきました。くーるだう~ん。

相手の技を受ければ、次は私の番。
そして何度か繰り返し、愛情交換が行われ、そして受けきれなくなった方が、技をかわし、フィニッシュにもっていく。
愛情がタップリの方が試合に負けるが、人間として成長していく(かもしれない)

忘れもしない、昭和52年のザ・ファンクスVSブッチャー・シークの試合。
そう、全国民が知ってるであろうあの『フォーク事件』である。

これこそが究極のプロレスではないのか。
ブッチャーはテリーの右手をフォークで刺した!えぐった。
テリーは反撃はしたが力尽きリングの外へ。

そして兄ドリーJrが絶体絶命のピンチの時、再びテキサスブロンコ!テリーが復活し左手でパンチを見舞うのだ!
結果は、全国民の知るところである。

なんという反則のオンパレード。
昔『疑惑のデパート』と言われた政治家がいたが、まさしく『反則のオンデマンド!』
意味不明だが、勢いは伝わったと思う。
この試合が成立するという、「あんたどんだけファンの心をわしづかみするんや」的な素晴らしい試合だった。

ブッチャーにとってはフォークは受け止めてもらいたいモノだった。
それを、テリーは全力で受け止めた。
しかも、彼はサウスポーなのだ。
この伏線が奇跡のナックルパートに繋がることになる。

この反則だらけの試合に、なぜか狂喜乱舞した記憶がある。
ただ、こんなコラムを書いたが、今でもこの試合をリスペクトしている。
そのことは、キン肉マンの中で、仲たがいをしていたテリーマンがキン肉マングレーのマスクをかぶるところで、涙したことでもおわかりだろう。

次回の『昭和プロレス』の時には、長州力を語らなければならないような気がして今日は終わりにしたい。

最後に、一言だけお付き合いしてほしい。
このコラムを書きだした時に浮かんだ言葉は、
『キング・カーティス・イヤウケア』だった。

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